上田毅八郎さん
2月27日日曜日の午前中、「街中に上田さんのギャラリーを」という多くの人の声を実現させるべく、星野デザインの星野さんと共に上田さん宅を訪問いたしました。
「傷痍軍人」という言葉は僕が小さい頃よく耳にしましたが、最近はめっきり聞かなくなり、ましてや表札で目にしたことなど一度もありません。これを見て僕は急に背筋がピンとなりました。
実際にお目にかかると上田さんはとても優しい気さくなお爺ちゃんでした。さっそく記念写真を撮っていただきました。
下の写真は上田さんにサインしてもらって興奮中の星野さん。
ご覧のように上田さんはサインを左手で書いています。右手にはサポーター。従軍中、最後に乗っていた
金華丸が撃沈されたとき右肘を損傷し、使えなくなってしまったのです。
下の絵は金華丸沈没の様子を描いたものですが、絵だから大げさに描いてあるのかと思ったらその逆で、手前に水柱を描くと船が見えなくなってしまうので控えめに描いているんだそうです。
6回の撃沈を奇跡的に生き延び、帰還後ゼロから訓練した左手で画を描き始め、日本中のプラモデルファンの少年達(その一人が星野さん)を熱狂させ、6500枚(一説によると2万枚)の絵を描き上げました。
それらの絵は、死んでいった戦友への鎮魂画でもあるのだそうです。
上田さんは「人生教訓をしたためた書」も書いていらっしゃいます。その中に「目に見たり耳に聞いたりしたことを軽々しく語る者と深く交わるな」という一節がありました。だから僕はこのブログを書くのを非常に躊躇しました。結局僕は「軽々しくはない」し、「上田さんのことをもっと知ってもらいたい」ので書くことにしましたが、果たして正しい判断だったかどうか・・・
肝心の「絵をお借りする話」は最初の5分くらいで終わってしまいました。上田さん曰く「絵はいくらでも使ってよい。金は要らん。」だそうです。ザザに上田さんのギャラリーをつくって観光客を呼び込みたい、という僕の構想に「素晴らしいねぇー」と言ってくださいました。拝みたくなりました。
まっさきに「浜松ゆかりの芸術家」として顕彰されるべき人だと、僕は思います。
帰り、星野さんとガストで昼食をとりながら「絶対実現させましょう」と誓い合ったのでした。
おわり!
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