2006年05月18日
「意味がなければスイングはない」その1

実はまだ2/3しか読んでいない。残りを読むかどうかもわからない。だって、知らない人のことなんだもの。とはいえ、さすがは村上春樹、知らなくてもどんどん引き込む。ゼルキンもルービンシュタインも僕は名前も知らなかったが、とても面白く読んだ。
さて、当然僕が真先に読んだのはJAZZマンについての文章。「シダー・ウォルトン」「スタン・ゲッツ」。
そしてやはり再読してしまった「ウィントン・マルサリス」。
圧倒的に面白かったのが「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」であった。
「なぜ(このように)面白いのか?」僕は考えた。
村上春樹はこの文章の前の方で「彼の音楽が嫌いなわけではない。」と言っている。そして、彼の功績を挙げ「頭が良い」とか、「キースの胡散臭さより好ましい」とか、「チック・コリアの退屈さより筋がいい。」とかかなり無理をして称えている。しかし、これはどうも怪しい。そして「怪しい」ことがばれてもまーいいや、って感じで書かれている。彼はウイントン・マルサリスがどうしようもなく嫌いなのだ。
まず、褒める。そしてちょっと異議を唱え、また持ち上げる。そして、けなし、ときどき「悪くない」と言い、結局完膚なきまでにぶった切っている。最後に「次も楽しみだ」と締めくくっている。
もー、ここまで正確にウイントン・マルサリスの音楽性を見抜き、的確に欠点を指摘している文章を未だかつて読んだことが無い。村上春樹が正しくて、ウイントンが間違っているかどうか、そんなことは僕にはわからない。しかし少なくとも僕とDOTCOOLのマスターは村上春樹とまったく同じ感性を持っているようだ。
他の音楽家に対する文章がその音楽に対する愛に満ちているのに対し、ウイントンにだけはまったく愛がない。「嫌いじゃない」と言いながら「嘘つけ!」と読者が突っ込むことを予想している。そしてたぶんウイントン・マルサリス自身がこの文章を読むだろう事を自覚して書いているような気がする。
だから、面白かったのかな?
「シダー・ウォルトン」の文章にはハンク・モブレーのことが少し書かれている。その評価は「ちょっと違うんじゃないか?」とも思えるが、書いてくれただけで僕は大満足だ。ただ、シダー・ウォルトン自身の評価としては僕は村上春樹よりも「メジャーなピアニスト」ととらえていて1986年のマウント富士ブルーノートJAZZフェスのときもウォルトンが出てくると「お、シダー・ウォルトン!」と思って身を乗りだして聴いた。なんといっても「ウゲツ」の作曲者としてウォルトンは僕の中で大スターだ。3管時代のメッセンジャーズは彼とショーターによって支えられていた。
「スタン・ゲッツ」が性格的に非常に問題があったということはよく知られている。昔読んだ渡辺貞夫のエッセイにもそのことは書かれていた。村上春樹の文章はその辺のおもしろい麻薬がらみのエピソードを引用しながらゲッツの音楽への深い愛をにじませる。ゲッツの音楽を「天国的」と表現している。どれほどゲッツを好きなのか、よくわかる。村上春樹はおそらく初期のゲッツが一番好きな時代で、僕は中期以降のゲッツが好きなのだが、まぁそんなことはたいしたことではなく、彼の思いは静かに熱い。
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Posted by ドラマーな建築家 at 00:45│Comments(0)
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